脊髄損傷の回復症例

足指ドクターによる解説

YOSHIRO YUASA
湯浅慶朗

理学療法士、足指博士、足指研究所所長、日本足趾筋機能療法学会理事長、ハルメク靴開発者。元医療法人社団一般病院理事・副院長・診療部長。専門は運動生理学と解剖学。足と靴の専門家でもあり、姿勢咬合治療の第一人者でもある。様々な整形疾患の方(7万人以上)を足指治療だけで治してきた実績を持つ。

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NEVER GIVE UP

脊髄損傷で損傷した神経を治す方法は、現在はまだありません。しかし諦める必要はありません。人はどんな状態からでも回復する能力を持っています。限界を作るのは自分自身。もう一度自分の足で歩きたい気持ちが強ければ強いほど、回復する速度は速くなっていきます。YOSHIRO SOCKSを履いて、ひろのば体操を繰り返してみて下さい。徐々に失われた足裏の感覚を取り戻し、動かなかった足が動くようになり、自分の足で立つことができるようになるかもしれません。

脊髄損傷からの回復例

世界初!足指治療の画期的な治療法で常識を覆し、寝たきり完全麻痺から歩行再獲得

ひろのば体操+YOSHIRO SOCKS

湯浅先生によるリハビリを始めてから、私の人生は一変しました。脊髄損傷(完全麻痺)と診断され、病院では一生車椅子生活しかないと言われていた私が、湯浅先生の手によって奇跡的に回復したのです。湯浅先生のリハビリを受けてからは、命が輝くようになったのです。

私は1日の大半をベッドで過ごしていました。完全麻痺と胸髄損傷(T5)により胸郭から下の感覚が消失し、体幹保持が困難で要介護4という状態。下肢と体幹下部のマヒで全く動けない自分は、何もできずにただ眠ることしかできなかった毎日でした。

しかし、湯浅先生は私を決して見捨てず、私に希望を与えてくれ、毎日励まし、支えてくれました。そして、ある日、驚くべき変化が訪れたのです。マヒしていた感覚が戻り、自分の意志で下半身を動かすことができるようになったのだ。寝返る、起き上がる、座る、立つ、歩くということができるようになった時、私は涙を流しました。それまでの苦しみや挫折が、湯浅先生と共に乗り越えられたことを実感した瞬間だった。周りの医師や看護師たちも驚き、私の回復の速さに感心していました。

年齢74歳という高齢でありながら、要介護4の状態から徐々に回復し、湯浅先生は、私に限界を感じさせることなく、座る、立つ、歩くといった日常生活の動作も再び自分の意志で行えるように導いてくれたのです。装具を使わずに、足の裏で地面を感じながら歩けるということが、こんなにも嬉しいとは思いませんでした。

湯浅先生のおかげで私は再び人生を楽しむことができるようになりました。彼の温かいサポートと尽力に感謝の気持ちでいっぱいです。湯浅先生には私の人生を劇的に変えてくれ、その感謝の気持ちは永遠に消えることはありません。湯浅先生との出会いは、私の人生に光をもたらしてくれた奇跡のような出来事でした。

サポートなしで歩けるようになった!胸髄損傷(不完全損傷)70代男性

私は胸髄損傷による両上肢のしびれと、胸から下が麻痺していて、介助をしてもらいながら歩行器を使用して移動を行っていましたが、歩行時のふらつきが多く、1日のほとんどをベッド上で過ごしていました。

医師からは回復の見込みはないと診断され、私は将来に対する希望を持つことが難しい状況に置かれていました。しかし、ケアマネージャーの紹介で出会った湯浅先生が私の人生を一変させるきっかけとなったのです。

湯浅先生は私に週2回のリハビリを提案し、その施術は劇的な効果をもたらしました。徐々にふらつきが少なくなり、1ヶ月ほどで知覚障害も回復し、歩行器を使用せずに一人で屋外を30分程度歩くことができるようになったのです。

3ヶ月を過ぎると、自宅で杖を使用することなく歩行することができるようになり、休みの日には自宅の庭に出て散歩や階段昇降の練習をするほどになりました。そして、5ヶ月目には自宅から100段ほどの階段を降りて道路まで出ることができるようになり、痛みやしびれも出ることがなくなりました。

驚くべきことに、7ヶ月目には要介護認定で3だったのに、自立(非該当)と認定され、自立した生活を送れるようになりました。私は多くの困難を乗り越え、自らの意志と湯浅先生の支援によって新たな人生を歩み始めたのです。

私の人生は、医師の診断を覆すほどの奇跡的な回復と成長を遂げました。湯浅先生の信念と意志の強さが、私自身だけでなく周囲の人々にも大きな感動を与え、人々の心に新たな光を灯すこととなったはずです。

「一生歩けるようにはならない」と宣告。寝たきり生活→歩行器で歩けるまでに回復。

私は90歳を過ぎてから、頚椎圧迫骨折による頚椎損傷で寝たきりになってしまいました。要介護度は4と認定されました。医師からは回復の見込みはないと宣告され、1日をベッドの上で過ごす日々が続いていました。しかし、ある日、ケアマネの紹介で湯浅先生という素敵な理学療法士がやってきました。

湯浅先生は笑顔で話しかけながら、週1回のリハビリを始めました。最初は頚椎損傷ということもあり不安でしたが、湯浅先生の優しい声掛けと温かい手技に少しずつ心を開いていきました。

すると驚くことに、私の体が徐々に動き始めたのです。最初は自分で寝返りができるようになり、1ヶ月後には起き上がりや車椅子への乗り移りも自分でできるようになり、食事も椅子に座って食べられるようになりました。

2ヶ月後には車椅子を使ってトイレに行くことができるようになり、平行棒を使って歩く訓練も始めました。4ヶ月目には歩行器を使用して歩くことができ、自宅でのトイレも自立して行えるようになりました。

そして、6ヶ月目には驚くべきことが起きました。私は床の上での生活も可能になり、歩行器を使って屋外での散歩も楽しむことができるようになったのです。誰もが驚き、感動したその回復劇はまるで奇跡のようでした。

私は湯浅先生に感謝の気持ちを伝えながら、今までの苦しい日々とは違う、明るい未来を見つけることができました。そして、湯浅先生の助けとサポートに支えられながら、私は新たな人生の一歩を踏み出すことができました。

一般的なリハビリと湯浅慶朗のリカバリーの違い

現在の日本の一般的な病院で行われている脊髄損傷のリハビリテーションは、失われた機能を回復させることを目指すものではありません。従来の考え方では、「一度脊髄を損傷すると機能を回復することは難しい」とされており、歩行を目指すリハビリテーションは滅多に行われません。むしろ、病院のリハビリテーションでは、「残された機能を最大限に活用し、日常生活を送るための支援をする」という視点でアプローチされています。患者は残存機能を活用し、筋力を強化し、車椅子の操作に慣れるなど、新しい状況に適応していく訓練が行われます。

これに対して、湯浅慶朗のリハビリテーションは従来のリハビリとは異なり、「動かせない部位」の機能回復を目指しています。近年、中枢神経組織が可逆的であり、修復や再生が可能である可能性が示唆されています。適切なレベルの神経運動を継続的に行うことで、神経組織の機能回復を期待することができるようになっています。しかしながら、長期的かつ根気強くリハビリを実践することが必要であり、日本にはそのような施設が不足している現状があります。

湯浅慶朗のリカバリー施設は、慢性期の脊髄損傷者のために長期にわたるトレーニングが可能な唯一の施設です。湯浅の独自の方法を用いて、神経組織の再組織化や脊髄神経の再教育を行い、歩行機能の回復を目指しています。早い段階からトレーニングを始めることが有効であるとされていますが、受傷後の経過が長い場合でも、諦めることはないとされています。実際、湯浅慶朗のリハビリを受けている患者は、急性期から慢性期に移行した方々であり、そのリハビリの効果は科学的にも証明され、様々な受傷期間の方々に機能回復をもたらしています。

この記事を書いた人

湯浅慶朗のアバター 湯浅慶朗 ひろのば体操の開発者

足指研究の第一人者。理学療法士。病院理事・副院長も歴任。東京大学・国際医療福祉大学と研究を行う。テレビ出演は『NHKガッテン』『NHK BS 美と若さの新常識』『NHK サキどり』『ガイアの夜明け』ほか多数出演、著書は『たった5分の「足指つかみ」で腰も背中も一生まがらない!』(PHP出版)など多数。ハルメクとオシャレな矯正靴を共同開発しています。

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