【医療監修】脊髄損傷後に生活動作の変化がみられた実例3選

【脊髄損傷・頚椎損傷と診断された方へ】
「もう大きな変化は難しい」と言われたあとでも、
生活の中で“できること”が少しずつ増えていった例があります。
ここに紹介するのは、私が実際に関わってきた方々の
当時の体験をもとに構成した記録です。
ー NEVER GIVE UP ー
脊髄損傷の体験談
——現場で実際に寄せられた「本人の声」をもとに構成しています。
以下は、私がこれまで関わってきた方々からいただいた「当時の体験談」をもとに再構成したものです。
① 胸髄損傷(T5)・完全麻痺・要介護4|74歳男性の例
私は、脊髄損傷(胸髄T5)で完全麻痺と診断されました。
胸から下は感覚がほとんどなく、体も思うように動きません。要介護4でした。
病院では「これ以上、大きく変わることは難しいと思います」と言われました。
それまでにも、病院や施設でリハビリは続けてきました。寝返り、起き上がり、座る練習。できることは一通りやったと思います。
でも、「ここから先は、もう変わらないんだろうな」そう思いながら過ごしていたのは事実です。
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そんな中で、湯浅慶朗先生と出会いました。
最初に言われたのが、「足指と足裏を、もう一度使うところからやってみましょう」という言葉でした。
完全麻痺と言われているのに、足指?
意味は分かりませんでした。
それでも、ひろのば体操やYOSHIRO SOCKSを履いて、足指を広げて伸ばすこと。毎日の中で続けるようになりました。
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リハビリでは、最初から立つ練習をしました。装具もつけていません。立てるとは思っていませんでした。それでも、介助は受けながらですが、立ち上がる動作を繰り返しました。
その中で、自分で体幹を使って起き上がること、自分の意思で足を動かすこと、お尻を持ち上げる動きもできるようになりました。
歩行器を使って、自分で足を前に出すこともできました。スクワットの動きも、一人で行いました。トイレも一人で行けるようになり、外に出て歩く時間を持てた日もあります。
これはすべて、自分の体でやったことです。
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私は、自分が「治った」とは思っていません。
これが何によるものなのかも、はっきりとは分かりません。ただ、「もう何も変わらない」と思っていた体で、これだけのことができるとは、自分でも思っていませんでした。
足指を広げて伸ばすこと。足裏で地面を感じること。YOSHIRO SOCKSを履いて、足元を安定させること。
そうやって体と向き合う時間を持てたことが、私にとっては大きな意味を持ちました。一歩前に進むきっかけになったと感じています。




「まさか自分で再び立てるとは思いませんでした。人生が明るくなったようでした。」
② 胸髄損傷(不完全損傷)|70代男性の生活変化の記録
胸髄損傷(不完全損傷)と診断されたのは、70代に入ってからでした。
両腕のしびれが強く、胸から下は思うように動かせない状態で、歩くには歩行器が欠かせませんでした。
立ち上がるだけでもふらつきがあり、転ぶのが怖くて、気がつけば一日の多くをベッドの上で過ごす生活になっていました。
医師からは、「これ以上の回復は難しいかもしれません」と説明を受けました。
その言葉を聞いたとき、「やっぱりそうか」という気持ちと、「もう無理なのかもしれない」という思いが入り混じっていたのを覚えています。
それでも、できることは続けようと思い、リハビリには通っていました。
そんな中で、湯浅慶朗先生を紹介されました。
足元の使い方や、体をどう支えているかという視点を教えてもらい、ひろのば体操やYOSHIRO SOCKSを使って足指を広げて伸ばすこと。日常の中で意識するようになりました。
立ち方や歩き方も、
「どう足裏に体重が乗っているか」
「どこで体を支えているか」
そういう点を、できる範囲で丁寧に行うようになりました。始めてしばらくは、何かがはっきり変わった、という感覚はありませんでした。
ただ、続けていくうちに、立ち上がるときのふらつきが、以前より少なく感じる。足裏に体重が乗っている感覚が分かる瞬間が出てくる。そんな小さな変化に気づくようになりました。
約1ヶ月ほど経った頃、「もしかしたら、前とは少し感覚が違うかもしれない」と感じる瞬間がありました。
そこから少しずつ、歩行器を使わずに、短い距離なら歩ける日が出てくる、外に出て、休みながらでも30分ほど歩ける日が増える。3ヶ月ほど経った頃には、家の中では杖を使わずに歩く時間を持てるようになりました。
5ヶ月ほど経つ頃には、階段の昇り降りにも挑戦するようになり、100段以上の階段を上り下りできたときは、自分でも信じられない気持ちでした。
以前は常に気になっていたしびれや痛みも、「今日はあまり気にならないな」と思える日が増えていきました。
そして7ヶ月ほど経った頃、介護認定が 要介護3から非該当(自立) に変更されました。
その知らせを聞いたとき、「まさか自分がここまで来るとは」という思いでいっぱいでした。
医師から「難しい」と言われていた分、この変化をすぐには信じられない気持ちもありました。
今振り返ると、一気に何かが変わったというより、できることが少しずつ積み重なっていった結果だったのだと思います。
もう一度、自分の足で外を歩ける。それだけで、毎日の景色がまったく違って見えるようになりました。


「医師から“難しい”と言われていたので、自分でも信じられませんでした。」
③ 頚椎圧迫骨折・要介護4|90代男性の生活範囲の変化
(頚椎圧迫骨折・要介護4)
頚椎の圧迫骨折(頚椎損傷)をきっかけに、首から下に力が入りにくくなりました。
90代に入り、生活のほとんどをベッドの上で過ごすようになり、要介護4と認定されました。
起き上がることも、自分で体を支えることも難しく、日常生活の多くを妻に頼る状態でした。
妻も同年代で、いわゆる老老介護です。これ以上、負担を増やしたくないという気持ちは強くありました。
「このまま寝たきりなのだろう」と、どこかで覚悟していた部分もあったと思います。
そんな中で、担当のケアマネージャーさんから「一度、湯浅慶朗先生のリハビリを受けてみませんか」と紹介されました。
どうせ大きく変わることはないだろう。そう思いながらのリハビリでした。
最初に話が出たのは、足指や足裏の使い方のことでした。
「今さら足指の話をされても…」
という気持ちがなかったわけではありません。
頚椎のケガで、体全体が思うように動かない状態です。足指と言われても、よく分かりませんでした。
それでも、このまま何もしないでいるよりは、一度やってみよう。そう思って、リハビリを受けることにしました。
リハビリでは、ひろのば体操 で足指を広げて伸ばすことから始まりました。また、日常生活の中ではYOSHIRO SOCKS を履いて過ごすようにしました。
ベッドの上でも、座っているときでも、「足指を使う」「足裏を感じる」その意識だけは続けるようにしました。
1ヶ月ほど経った頃
ある日、自分で寝返りが打てていることに気づきました。動きはゆっくりですが、起き上がる動作も、自分の力を使える場面が出てきました。
2ヶ月が過ぎた頃
車椅子でトイレまで移動できるようになりました。介助は必要でしたが、排泄そのものは自分で行えるようになり、
「まだ、自分でできることがある」そう感じられたことは、気持ちの上でも大きかったと思います。
4ヶ月が過ぎた頃
歩行器を使った歩行が、以前より安定してきたように感じる日が増えました。
足裏で地面を感じながら、一歩ずつ前に進めている感覚がありました。
6ヶ月が過ぎた頃
歩行器を使って、屋外を散歩できる日が出てきました。
風を感じ、景色を見ながら歩く時間は、寝たきりだった頃には想像もしていなかったことです。
この変化には、妻もとても驚いていました。
ひろのば体操で足指を広げて伸ばすこと、YOSHIRO SOCKSを履いて足元の感覚を意識すること、そして、体を使う時間を少しずつ重ねていったことが、今の状態につながっているのかもしれない。
私は、そう感じています。
90代になってからでも、「何も変わらない」と思っていた生活の中で、外を歩ける時間が持てるようになった。
それだけで、妻の負担も、自分の気持ちも、少し違って見えるようになりました。



















































